重信房子の家族(夫・娘)は誰で今何をしている?生い立ちや父母との関係も調査

日本赤軍の元最高幹部の重信房子元受刑者が20年刑期を終え出所したことが話題になっています。

若い世代には名前くらいや事件名くらいしかわからない・・という方も多いかもしれません。

重信房子元受刑者について

調査しました。

目次

家族(夫と娘)は?

夫は?

1971年に奥平剛士と婚姻届を提出しています・・が、これは偽装結婚とのこと。

偽装結婚の相手も同じく日本赤軍の幹部です。

1972年にテルアビブ空港乱射事件を起こします。

被害は乗降客を中心に26人を殺害、73人に重軽傷。

このテロ行為中、奥平剛士は警備隊に射殺され、死亡しています。

その後、パレスチナへ拠点をうつし、パレスチナ人の活動家と結婚します。

このパレスチナ人の活動家も逃走中に死去しています。

重信メイ(娘)

重信房子元受刑者には、夫であったパレスチナ人男性との間に娘がいます。

重信メイさんです。

1973年3月1日生まれで49歳。

8歳の誕生日に母親から「パレスチナ人と共に闘うため日本から来た」と教えられ、

イスラエル情報機関を警戒して、母親の仲間以外には出生や本名を伏せて暮らしたそうです。

1997年にベイルート・アメリカン大学を卒業後、同大学国際政治学科大学院に進学しています。

出生後、28年間無国籍であったが、2001年3月5日に日本国籍を取得し、同年4月3日に初来日しました。

生い立ち

重信房子元受刑者は

東京の世田谷で4人兄弟の次女として生まれた。

父の影響を強く受ていた少女時代は「小さな親切運動」に熱心に取り組み、表彰を受けることもあった、

また文学少女でもあったそうです。

幼い頃から、勉強熱心で既に活動家の面があったようですね。

東京都立第一商業高等学校卒業。

キッコーマンで働きながら小学校教員を目指し、明治大学文学部史学地理学科の夜学に通っていました。

そして、大学の学生運動から闘争にのめり込んでいったようです。

両親(父母)との関係

父親は重信末夫

四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、

第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体金鶏学院の門下生であり、

房子元受刑者は幼い頃から父親の影響を受けていたという話しもあります。

血盟団事件(けつめいだんじけん)は
1932年2月から3月にかけて発生した連続テロ(政治暗殺)事件。政財界の要人が多数狙われ、井上準之助と團琢磨が暗殺された。

母親については名前も不明でした。

時代的にも普通の専業主婦の方だったのかもしれませんね。

まとめ

20年の刑期を経て、出所となりました。

今後、重信房子受刑者が何か発信することはあるのでしょうか・・

服役中にガンの手術を4回受けており、今後は治療にあたるようです。

何か情報があれば追記します。

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